やってみると、、、
混んでる電車でずっと立ってて、
やっと目の前の席が空いたのに遠慮というか躊躇してしまって、新しく入ってきたおじさんにどかっと座られるみたいなことがよくあった。
自分がグズグズしてただけなのに、
「何駅も待ってたのに!」と不満みたいなものを感じてしまう。
それが嫌なので「今日はそうなったら座るぞ!」って固く決意した。
なんてことなかった。ふつうに座れた。
なんとなく誰かから見とがめられるのかな、みたいな不安があったが、
空いた席に座っただけなのだから当然そんなことはない。
こういう風に、自分で壁をつくって勝手に身動きとれなくなってることってよくある。
手続き関係とか雑事もそうで、先送りにしてる時はめんどくさいけど、いざ始めるとそんなでもなかったりする。
壁を感じたらやってみろフラグなのかもしれない。
そのあと選択肢が増えて、もっと生きやすくなるはず。
ファーストドアをこじ開ける
「僕そこ座りたいんでどいてください!」って
相手をおどろき顔で立たせて堂々と座る
って光景を電車で目撃した。
ファーストドアをこじ開けるというサードドアを目の当たりにして、度肝抜かれた。
なにをアウトプットすれば
ということで、
暇さえあれば(暇ばかりだけど)文章を書きつらねることにした。
でも何をアウトプットすればいいんだろう?自由に語ってください、ってモーションに入っても特に言うことが思い浮かばない。
今日あったこととか書けばいいんだろうか?
何かあったかなー
まだ午前だけど。
コミュ障(って便利な言葉になったと思う)なりに隣の人に話しかけて、15分くらい?雑談できたのはよかったかな。
話せないのって無駄に不安があるから、ってことに気付いてから、とにかく「その場」に慣れるようにした。
緊張なんかする必要ない、って証拠をことあるごとに拾い集めた。
そしたら「あ、、えと」でモゴモゴして早く会話終われ状態に陥ることがなくなった。
別に特別なことを言わなくてよくて、連想のままに、普通に受け答えすればいいのだ。
たぶん。
スマホ依存から逃れるためのアウトプット
スマホがやばい。まずい。
気づくと見たくもないアプリを開いてSNSをチェックしてる。
いいねやコメントが来てないか。おもしろい投稿はないか(あまり期待はしてない)。
特に仕事終わって帰宅して、疲れたーこれからリフレッシュだぜで行動フリーズして、帯に短し何とかに長し?で読書にも運動にも届かず、空気が出口を探すようにスマホに手が伸びてる。
そして画面をタプタプする。
そんな時の脳は、惰性を除いて消灯状態になってる。特に楽しくもなく、有益でもない。
吸ったことないけど、タバコと似たような感じだろう。
『スマホ脳』(アンデシュ・ハンセン)はずいぶん前に読んだ。
スマホ依存への警笛をこれでもかと鳴らした著作で、知ってからはやばい!と思ってしばらくは控えてた。
でもまた元に戻った。ほんとに引力が強いのだ。
だからアウトプットすることにした。暇さえあれば、駄文を書き散らしたり、絵を描いたり、朗読(はアウトプットになるのか微妙だけど)したり、アイデアを出したり、試したり。
スマホのジャンクモードに陥らないためには、割と意識して主体的になる必要があると思ったから。普段なら言葉にしないこと、関心を持たないことでもとにかく文章とかに巻き込んでいく。
それに慣れたら、アウトプット体質ができあがってるんじゃないかなー(565文字)
スマホ肉
今週のお題「肉」
最近はスマホをかじる人が増えた。
時間を選ばず場所に関わらず、そして老若男女を問わず、かじかじとスマホ肉をほおばっている。
海賊のように豪快に食いちぎるおじさんもいるし、ぼーっとリスのように少しずつ口に運ぶ子どももいる。
ネットが廃れて久しい。
人との交流に疲れ、言葉によるやりとりにうんざりし、洪水のようなコンテンツに飽きた皆の向かう先は、原始的な欲求だった。
無言社会の訪れはスマホ肉と同時にやってきた。
シンプルな欲求の心地よさに気付いた瞬間、社会の音は消えてしまったのだ。
コミュニケーションをとらなくても、肉を口にしてればいい、と。
僕は肉機能をオフ(草食モード)にしている。別に要らないのだが、今時のスマホにはみんなこの機能が付いてくる。
だからといって無音の街で、話す相手もいないのだが。