新生活にはうってつけのバナナ

#新生活が捗る逸品

気分がどうのこうのと言って、なんになりますか。
ぐずぐずしている人間に気分なんかわきゃしません。

ゲーテ

 

2年くらいの前のお昼休みに、爽快な気分を味わった。

いつも眠たいか、何かがよどんでいるか、次を待っているかしている意識に
正月の朝に履き替えたパンツのような風が吹き込んできたのだ。

 

「バナナ」と「緑茶」だ!と結論が出た。

 

いつもと違うことといえば、それしかなかった。
トリプトファンカテキンがどうのこうので、きっといい効果が出たのだ。

 

それからしばらく僕はバナナと緑茶の朝を過ごすようになった。
さらにそれからしばらくして、バナナと緑茶に代わるものを探し求めるようになった。
なにせ「爽快な気分」はあのお昼休みたった一回だけのことだったからだ。

 

新生活とバナナには似たところがある。

 

「すべて」を、どの程度・・どんな形で
どんな意味合いを持つ「すべて」かわからないが、
とにかく変えてくれる期待の先なのだ。

 

僕はバナナを探すことをやめて、気分を狙い撃ちすることもやめて
自分が何をしたいのか?わくわくするのか?
何かを待っていないか?に目を向けるようにした。

 

新生活をつくるのは季節の節目やカレンダーではなく、僕たちの
(未完)

 

 

 

Tom

今週のお題「わたしのインターネット歴」


トムが外人なのか、その振りをした日本人なのかなんて、どちらでもよかった。


チャットで彼(?)が返してくる言葉は、英語が全然分からない僕には、何行かのアルファベットの並びにしか過ぎなかったのだ。


最初は日本語での会話を試みていたが、キーボードがバグって、というか変なキーを押してしまって、かな入力ができなくなり、「sumi masen nihongo utenaku narimasita」みたいに半角ローマ字語で話しているうち、なんというか、だんだん外人気分になっていった。


相変わらずトムは早打ちの英語で返してくる。そして相変わらず分からないが、外人のノリでいると、何かに同期できるような感覚が芽生えてきた。

そしてとうとう、むしろ意味なんて邪魔じゃないのか?ーに行き着いて、「Ay gah www cc!」みたいな、日本語でも英語でもない、言葉が並んでるだけの、いわば外人語が飛び出した。


トムは普通の外人(設定)だから、しばらくは困惑した様子で、それでも英語をキープしていた。

だが彼も最後には、「*9p!ro bo ro bo」と了解してくれ、僕と同じ外人になった。


それからの会話には、普通の意味での意味が欠けていたが、日本語と英語よりも、片方がわかって片方が分からないコミュニケーションよりも、外人語としての言葉が成立していた。

わかるようでわからないやりとりで、何かを伝えられた気がしたのだ。


あれ以来、トムとは会っていない。もう20年前になるが、あの時はじめてインターネットに触れて、なぜそんなチャットに行き着いたのか、知る由もない。


だがトムは、そして外人語は、今でも僕にとって、インターネットの象徴であり、ある意味では正体ですらある。